しみじみと福島を思う

雪の雲は去ったか

 痛みに満ちた名前になったこの福島という名前。かつて子どもたちとくらした場所。歌うことが好きで働き者で、それでも貧しさはついてきたと土地の人は言う。果物が美味しくて、食べ物が美味しくて、緑がたくさんあって阿武隈川が流れていて。その街がいま苦しんでいる。
 災難はある日突然やってきたわけではない。原発があそこにやってきた時この日の来ることもまた可能性としてもたらされていたのだ。ただそれが現実になることを誰も考えなかっただけのこと。形あるものがやがて壊れていく時きちんと収束し終息できるのか。終息できない可能性をはらんだまま、あたかも安全であるかのようにそこに持ってきて、何がしかの危険手当のような援助をばらまいて、その積み重ねは人々の告発の口を閉ざさせてしまう。あんたたち今まで美味しい思いをしてきたんだろうと。
 そんなことを思い巡らしながら、私は今日も福島から自主避難してきた人の悲しみを聞いている。
 最早一企業だけでは、ひとつの国の力だけでは拡散してしまった放射能汚染は閉じ込めることも、元の形に戻すこともできない。そのことをこの人達の人生の問題とだけ囲い込んで良いはずがない。この人たちをあたかも個別の切り離された特別な存在として自分たちの生活圏から隔離することで自分たちの安全を確保しようとする発想は許されないと私は思う。絆と叫び忘れないといってくれたその人達は、自分たちの土地で瓦礫の処理はしてくれようとはしなかった。
 誰が正しいとか間違っているとか言いたいのではない。個々にある現実を見つめた時見えてくるものがここにある。悲しみもまたここにある。