様々なことを通り過ぎて

 やっと少しゆとりができました。家族にも変化があり、それぞれの人生の困難を感じてはいますが、それを自分の力で乗り越えるタフさもあり、人間は何とけなげで、いとおしい生き物だろうかと思います。人が生きてゆく姿は、その人本人だけではなく、ともに生きる周りの人にも大きな影響を与えます。その姿を通して人は学び成長してゆくものだと思います。たとへそれが幼い人であっても年老いた人であっても、人というものの存在の重さに変わりはなく、その力もまたくらぶべくもないものだと思い知りました。生きる人あり、亡くなっていく人ありの秋の日々です。

  年を重ねることに、善きかなという思いを持てない年月を重ねてきました。年老いてゆく人の最後の月日に寄り添うことを仕事としてきた時期がありました。13年生活支援の現場にいて、心を整えることをその人の最後の思いと重ねて寄り添っていく。その仕事をライフワークと思っていましたが、職務中に交差点で追突され、その仕事を続けることを断念せざるを得なくなりました。


 今、別の形での相談業務についています。私が失ったもの、あきらめたものはもしかしたら今のこの仕事につくためのステップだったのかもしれないと、ふと思うことがあります。
 私にはまだ自分の人生を俯瞰してみることはできません。それでもこうした出来事は、何か大きな転換をもたらします。何事も起きなければ、自分はその道を決して選ばないだろうと思うことが、一つの出来事をきっかけに、それ以外に、自分を生かす道がないことに気が付く。ためらうことなく自分の気持ちがそこに向かっていく不思議さ。聖書に私が神を選んだのではなく、神が私を選んだという言葉がありますが、私の身に起こったこともまた、大きな手に摘み上げられて移し替えられたような感じがします。ここで咲きなさいと。