今年もよろしくお願い致します

冬のユリの木

 今年がどんな年になるのかはわからないけれど、今日のミサのあとある修道女と話しあった。


今年一年がどんな年になるのかわからないけれど、わかったところでどうなるものでもない。
お互いこれが最後の年と思って淡々と過ごすのが一番いいよね。
どんなに一生懸命やっても何かは言われるし、一生懸命やらなければもちろん言われるし。
それは人間であるかぎりしかたのないこと。
ならば自分が気持ちのよい暮らしをするギリギリのラインを自分で決めていくしか無いね。
結局神様が何を望んでおられるのかを果たしていくような生き方をしてゆくしか無い。
人間が何を行っても悲しみも喜びもみな神様に一時あづかりをして、
いちいち褒めてもらうことや認めてもらうことに汲々としない生き方に徹するのが一番楽だね。



ということに意見が一致した。
人間が何を攻撃してもすべての事をご存知なのは神様だけ。
何を行っても自分のメガネでしか物事を見ない人たちに、
どんな説明をしても自分が惨めになっていくだけだもの。
その人達にはパウロが言っているように、
あたかも何もなかったかのように丁寧に親切に接しよう。
そうすることで私はたくさんの意地悪に耐えて切り抜けてきた。
あからさまな意地悪にいくら抵抗しても悪化するだけだ。
新年の心新たなミサの後に、このような会話をせざるを得ない現状に胸が傷んだが、
まだ自分が何とかできることであるだけ救いがあると思ったのも事実。

生きよう

心からそう思った。