私たち家族にとって五月は

mugisan2016-05-01

あの子が亡くなった月。あれから私たち家族は、この月が来るとあの子の記念日に自分たちの思いを重ねてきた。悲しみの色は緩やかに変化してきたけれど、悲しみはなくならない。親が子供より先に死ぬはずなのに、なぜ私が生き残っていて子供が先に亡くなっていったのだろう。これは疑問形ではない。嘆きである。納得がいっていないまま時間が過ぎていった。人の生き死にに納得のある答えなどあるはずもない。
 哀しみが、いつか寂しさに変わり、緩やかに私の心は自分の傷をいやしてゆく。それはたくさんの死を体験してきた私の心が出した答え。こればかりは亡くなった人と、見送った人との心の絆の結び方によって異なるから、一般論では語れない。束ねることのできないものなのだ。
 今年も五月がやってきた。私は彼の死を抱えて一緒に生きてきた。私が生きている限り、家族があの子を忘れない限りあの子は生き続けている。

旅の途中で


もう君はどこまで行ったのだろうか。
あなたの置いていった思い出は
いつまでも思い出の箱に収まることが出来ないままに
私の今日を染めている。


私は君のことをあきらめきれず
今日を一緒に生きることで
何とか今日一日を受け入れている。
お母さんと一緒にここにいてほしいと祈りながら。
私は今でも君のお母さんだから。


周りの人たちは
私のことを元気でめげないね。
あなたは強い人だね。
あなたに慰めの言葉は言えないねという。


あまりに大きな悲しみや苦痛は
人の目には見えないものなのだと思ったよ。
そうやって、じっと自分で
何とか折り合いをつけていくものなんだ
長い長い時間をかけて心が壊れないように注意深く。


今年も君と話がしたくて
私たちは凧を揚げるよ。


私たちが君のことを忘れてもいないし、
君がいたあの日々を大切に思っていることを
御互いに伝え合うために。


ああ  私たちはまだ君への旅の途中
今日は緑色の中にいる