なんてこった

mugisan2016-10-07

もう雪の知らせがあったなんて。季節は駆け足で変化している。いつの間にかセミの声を聴かなくなった。今年こそ最後にセミの声を聴いた日の記録をつけようと思っていたのに。虫たちの声すら聞こえなくなったような気がする。もっと敏感に季節を感じたいのに、目の前の出来事に右往左往しているのが情けない。人間の営みは、自然の中に置かれているのに、気が付かなければ出来事ばかりが心に残り、それすらも時間の流れに足流されて消えてゆく。生きていたはずの私の時間の記憶さえ見失ってゆく。そして最後に残ってゆくのはかすかな季節の記憶。風雨ううむ。それでいいのかもしれないな。記憶したい。記録したいというのは、常日頃、根拠を求められ続ける仕事の副作用ではないのか。

忘れてもいい。記録しなくてもいい。記憶したいことを、記憶したい形で手元に置くだけでよいのだと思う。


娘が、「お母さんと一緒に朝、聖書を一章づつ読もうか」といった。寝坊助だった子が、今は五時に目覚ましをセットしてテストの丸付をしている。それがない日にその時間を一緒に聖書を読もうかという。仕事で必要ということもあるだろうが、びっくりした。仕事は人を育てるというけれど、この人はどんな職業人になっていくのだろうか。たのしみであるなあ。