認知症

 昔は童帰りといった。その言葉にはそこはかとなく柔らかなまなざしが感じられた。ボケとも言った。そこには悲しみを含んだ諦めと受け入れがあった。今、認知症という言葉は要支援、要介護とそれぞれに判定のための細かな度数をもって数値化されて語られる。そこには人間のまなざしが感じられない。私は知的・精神・認知・身体・触法の人たちに関わっているけれど、そこに人間としての体温が無くなったら、関わりは持てないと思っている。
 その体温を持った人としての関わりをしようと思うには、私の器はあまりにも小さすぎる。波が岩に当たって砕けながら、少しずつ海岸線を変えてゆくように、私は先人の後をうがち、やがて私の後をまた誰かが切り開いてくれるのだと思う。障害を持った人たちがそれぞれの居心地の良さの中に自分の人生を味わうことが出来ること。それが、私の心からの願いなのだけれど。

 JR東海の判決はほっとした。認知症の人を薬で精神的拘束をかける方法がとられるしかないのはあまりに悲しすぎる。どうすれば人は人として命を全うすることが出来るのか。保険会社が補償の範囲を広げるというが、お金だけで解決できることなの?監督責任。見張っている責任。いつか自分もそこに立つ可能性はあるのだから。法的責任は発生する。その金銭的損害、もしくは事故で他者の命を奪ったら、その償いはどんな形で誰が果すのか。その答えはまだどこにも出ていない。