毎年の季節のことなのに

ヒガラ もよろしいようで

何か去年とは違うと感じる。私は何を置き忘れてきたのだろうか。この一年前の自分がどんな感情の中に生きていたのか、日記を除いてみればささやかな日々の生きずかいが聞こえる。つつましい日々の営みの中に私は悲しみや喜びをそっと忍ばせて生きていたらしい。記録していなければ記憶のかなたに消えて行ってしまい二度とそんな日があったことも忘れてしまう。君は今どこにいるのかと思う友達もいる。あんなに懐かしかった子供時代にもう帰るすべもない。


若かった父母の姿が懐かしくてぼんやりと記憶をたどることもある。自分はもうとっくにあのころの父母を追い越してしまったのに、思い出すのは幼い自分と、何でもできると思っていた大きな父母の姿だ。家を出て、自分の職を持ち、離れて暮らして帰るたびに弱弱しくなり、小さくなってゆく姿はあまり思い出さない。帰ることが苦痛になった時期もあった。人はそうやってどこかで親との別れが来る日を納得し、あきらめて受け入れてゆくのだと思う。