もう春なのだから

 去年やりたいと思って出来なかったことを少しはやってみようと思うの。形にならないことでもよいし形になることもいい。形にならないことはたまっている本を読みつくすこと。ベランダ菜園も復活したい。採りたての野菜も、風に揺れるいい香りのハーブももう一度咲かせたい。メダカは3匹だけ残り、二匹の金魚が静かに大きくなっていっている。生きている者たちがベランダで成長しているのがうれしいし、気持ちがほっとする。柔らかなものを感じる。友人が呉れたアンネフランクのバラは色変わりする不思議な花。咲いていくうちに色が濃くなっていく。バラが好きなのは、あのとげも含めて。香りがあることが視力に頼れない私にとっては慰めでもある。春は、生きていることを素直に受け入れることができる季節だった。その春に私は次々と大切な人を失くしている。死がもたらす苦しみと痛みを和らげてくれるこの季節に旅立っていったのだろうか。ネイティブ・インディアンの言葉に「今日は死ぬのによい日だ」というのがある。命はその最後の日を、自分で決めることができるのだろうか。旅立ちを見送るたびに少しずつ、私は市が持つ尊さ、慰め、死によって完結する命の意味を学んできたのかもしれない。