山から冬の風が降りてくる

もうすぐ雪がつもる

 子供の頃雪虫が飛ぶと、もうそれは間違いなく雪の前触れだった。雪虫は青白くふんわりと風に運ばれてくる。アブラムシだとは、あの頃は知らなかった。儚く美しい秘密の匂いのする存在だった。オスには口がなく一週間で子孫を残して死んでしまう。メスもまた産卵して死ぬ。儚さを身にまとったような生き物で、それがフワフワと風に乗って飛んでくる。雪が命を持ったらこんな姿だろうと思う。幼い日に幻想的な風景をたくさん持っていることが私の中に原風景を形作っているのだろう。生きてゆく時、心が立ち返るふるさとの原型をはっきり持っている人は、たとえ現実に故郷が無くなっても、心が立ち返るべき原風景を持つ。自分の国を持っていることが生きる力を保つことになる。人が立ち返るべき風景を持っていることはアイデンティティを保つために必要条件だと思う。
 東日本大震災で私達が失ったものを、再現してゆく力は、心のなかにある原風景の力ではないのか。もはや二度と同じ風景は戻っては来なくても、そこに幻を見る力があれば、新たに行き、立ち、歩むことができるのではないだろうか。私達は同じもの、あの故郷が戻らないことくらい百も承知だ。