何故と問わないで

 人は自らの命の中に死の影を持っている。そのことが死への恐怖となり、好奇心となる。だから家族を失ったものに対して死の様子を尋ねてしまう。「苦しみましたか」「どうやって」「いつ・どこで」『何があったのですか』その全ての問が遺族にとって何の慰めにもならない。聴く側の不安を解消するだけのものでしかない。そのことを遺族は嗅ぎ分ける。だから誰にも語りたいとは思わない。答える義務はない。沈黙は当然の権利である。ある人が言った『私にとってとても神聖なものですから。清らかなものですから。お答えしたくありません』そう思って当たり前のことなのだ。踏み込まないで欲しい。その聖域を侵す権利は誰にもないのだ。そのことを知らない人が多すぎる。