遺族として生きる

 遺族は、いつになっても遺族であり、それ以外の生き方は出来ない。失ったものは二度と戻らないのだし、それ以外の生き方をもはや選ぶことは出来ない。そのことを私たちは心にとどめておかなければならない。あのことが起こったときから、もはやそれは私たちの魂の記録に記されている。
 何もなかったかのように生きることは出来る。過去のこととして生きることは許される。しかし無かったことにはならない。その人が生まれなかったことにはならない。生きていなかったことにはならない。余りのショックに、その人の全てを封印してしまう遺族がいる。そのことがいいとか悪いとか他人が言えることではないが、確かにこの世に命を受けて生きてきた時間をたとえ家族であっても抹殺することは出来ない。出合った人の心の中に、かつてその人が生きていたこと、そしてどんな風に生きていたのかということは残っている。全ての人の記憶から抹殺されずに密かに行き続けていることが救いでもある。
 たとえ遺族が亡くなった者に対して遺族としての生き方を選ばなくても、その人の死を心に抱えて生きてゆく人がいる。人の心までは消し去ることは出来ない。どんな形を取ろうとも遺族は遺族である。それ以外にはもはやなれないのだ。