昨日はルチアの祝日でした

mugisan2005-12-14

我が家の姫様の洗礼名がルチアです。北欧では古くから光の女神を祭る習慣があり、それがキリスト教の殉教者聖ルチアと結びついて、今でもこの日はルチア祭として光のお祭りです。ながいながい冬の日々太陽の光がどれほど恋しかったでしょうか。我が家の末っ子は、私たちの人生のいちばん困難な時期に生まれました。光のように明るく周りを照らし、生きる勇気を与えてくれますようにと、クリスチャンネームはルチアにしました。もう一つ堅信名というものもいただけるのですが、本人が選びます。コレはジャンヌダルクです。性格的にはコッチに近いかもしれないなと思います。師匠も、堅信名がジャンヌダルクです。我が家の女達はたくましいです。不思議なものでクリスチャンネームは、保護聖者として名前を頂くのですが、其々、其の聖人にだんだん似て来るのです。
 信仰の姿が似てくればいいのですが、なかなか其れは難しいらしく、寧ろ人生の中で、しでかすエピソードが似ています。例えば長男はアシジのフランシスコですが、これは名うての放蕩息子で、恋多き青年期を過ごしたようです。神から招命を受けてからは、がらりと生き方を変えて、美しい祈りと、貧しさを徹底的に生きる斬新な修道会を設立した事は有名。今のところわが息子は人生前半のフランシスコに似ています。困ったものです。其のうち改心するときが来ると思うのですが。なかなか。恋に生きるところばかり似ています。マアそんなもので周りは振り回されっぱなし。だいぶなれましたけど。
 ともあれ、クリスチャンネームは不思議なものだと感じています。むかしは其の名前を頂いた聖人の遺徳をしのんでその足跡を辿りますようにと選んだものですが、このごろは語感の響きや、美しさで選ぶ方も多く、一般の名前のえらびかたとさしてかわらなくなりつつあるのかなあと思ったりしています。このごろは修道名をあらためてつけない修道会も多くなり、少しつまんないかも。なまえには其々おもいがあり願いが込められているからです。ぴしゃりと一言で全てを表す力があるのにな。残念です。私の大好きな修道女はシスターパスカルと呼ばれていました。今は苗字ですけど。パスカルは復活と言う意味の名前です。素敵だなと思います。

国会

証人喚問、参考人質疑、などなど見ていて一体誰が嘘をついているのか。其れによって利益を受ける人に決まっているではないか。誰が利益の無い所でうそを積み上げるだろうか。ながめていてもし自分の夫や息子が此処でこんなことをやっていたら、自分はどうおもうだろうか。どうするだろうかと思った。お金。お金なければ困るが、まるで吸い上げるかのように、生きるのに必要以上にかき集めたい輩が引き起こした事だろうと思う。この被害にあわれた方々の血のにじむようなお金と人生。それに補填されるであろう税金の余りにもむなしい使われ方。税金がもっと有効に使われるなら納得するが、悪事の穴埋めに使われるのはたまらない。不良債権処理のときも思った。今回も思う。こんなことに宛てるために、あの税金をおさめたのではない。

友達

 ベレーの注文を受けた。淡いピンクとサーモンピンクかかったピンクのツイードで細かい縞模様を編込んでベレーを編んでいる。彼女の健康を祈りながら彼女の笑顔に似合うような優しい手触りのベレーができる予定。其れとブルーの混ざり糸とギュダ君のベビー服を編むつもりで買っておいた淡い黄色の極細毛糸を2本縒りにしてコレも細かい縞模様にした。彼女と出会って何年になるだろうか。純粋でおおらかで、気持ちのしゃんとした誠実な人柄が大好きだ。今年は彼女にとって決して楽な年ではなかった。クリスマスにとナウエエンの本を先渡しにしてしまったから、なんだか変なのだけれど、ささやかな手の品を差し上げたい。よくこの一年間頑張ってきたね。念願の国家資格も取ったし、健康も取り戻しつつあるし。 ふと思う。大人になって新しく友達になるって難しい。それでも人は少しずつ成長していって私の方に人を受け入れる力が出来てきたら、一人また一人と与えられてゆくんだなあ。
 友達は育ちの遅い植物に似ている。こちらの時間割にはお構いなく、必要な時間をかけてじっくりと成長してゆき、ある日掛け替えの無い友達だったって気がつく。Jちゃんもそんな友達だ。

スナフキン

酷い頭痛でペインクリニックに行った。今電話があって細菌性の髄膜炎だそうな。風邪の菌が入ったんだってさ。あらら・・マア薬を飲んで済むらしいけど。内科に行っただけでは分からなかっただろうね。恐るべしペインクリニック。麻酔科のクリニックはまだ少なくてとんでもなく混む。私も頸から痛みが走るので整形外科では埒が明かず、何とかせねばと思っているから、一日覚悟でいってみようかな。其のうちに。
 姫が今帰ってきて左手が動かせないほど痛むのに明後日の球技大会の練習だったそうな。休めばと言ったら休んだらクラスの女子に何されるかわからないからと本気で言う。帯状疱疹の痛みはとんでもないほど酷いのに。なんだか可哀想。本人は諦め顔で『右手だけでやっているから。バレーボールのたまに当てられないから謝ってばかりいた』と言う。親の出る幕ではないが、イライラする。

昨日はルチアの祝日でした

我が家の姫様の洗礼名がルチアです。北欧では古くから光の女神を祭る習慣があり、それがキリスト教の殉教者聖ルチアと結びついて、今でもこの日はルチア祭として光のお祭りです。ながいながい冬の日々太陽の光がどれほど恋しかったでしょうか。我が家の末っ子は、私たちの人生のいちばん困難な時期に生まれました。光のように明るく周りを照らし、生きる勇気を与えてくれますようにと、クリスチャンネームはルチアにしました。もう一つ堅信名というものもいただけるのですが、本人が選びます。コレはジャンヌダルクです。性格的にはコッチに近いかもしれないなと思います。師匠も、堅信名がジャンヌダルクです。我が家の女達はたくましいです。不思議なものでクリスチャンネームは、保護聖者として名前を頂くのですが、其々、其の聖人にだんだん似て来るのです。
 信仰の姿が似てくればいいのですが、なかなか其れは難しいらしく、寧ろ人生の中で、しでかすエピソードが似ています。例えば長男はアシジのフランシスコですが、これは名うての放蕩息子で、恋多き青年期を過ごしたようです。神から招命を受けてからは、がらりと生き方を変えて、美しい祈りと、貧しさを徹底的に生きる斬新な修道会を設立した事は有名。今のところわが息子は人生前半のフランシスコに似ています。困ったものです。其のうち改心するときが来ると思うのですが。なかなか。恋に生きるところばかり似ています。マアそんなもので周りは振り回されっぱなし。だいぶなれましたけど。
 ともあれ、クリスチャンネームは不思議なものだと感じています。むかしは其の名前を頂いた聖人の遺徳をしのんでその足跡を辿りますようにと選んだものですが、このごろは語感の響きや、美しさで選ぶ方も多く、一般の名前のえらびかたとさしてかわらなくなりつつあるのかなあと思ったりしています。このごろは修道名をあらためてつけない修道会も多くなり、少しつまんないかも。なまえには其々おもいがあり願いが込められているからです。ぴしゃりと一言で全てを表す力があるのにな。残念です。私の大好きな修道女はシスターパスカルと呼ばれていました。今は苗字ですけど。パスカルは復活と言う意味の名前です。素敵だなと思います。

国会

証人喚問、参考人質疑、などなど見ていて一体誰が嘘をついているのか。其れによって利益を受ける人に決まっているではないか。誰が利益の無い所でうそを積み上げるだろうか。ながめていてもし自分の夫や息子が此処でこんなことをやっていたら、自分はどうおもうだろうか。どうするだろうかと思った。お金。お金なければ困るが、まるで吸い上げるかのように、生きるのに必要以上にかき集めたい輩が引き起こした事だろうと思う。この被害にあわれた方々の血のにじむようなお金と人生。それに補填されるであろう税金の余りにもむなしい使われ方。税金がもっと有効に使われるなら納得するが、悪事の穴埋めに使われるのはたまらない。不良債権処理のときも思った。今回も思う。こんなことに宛てるために、あの税金をおさめたのではない。

友達

 ベレーの注文を受けた。淡いピンクとサーモンピンクかかったピンクのツイードで細かい縞模様を編込んでベレーを編んでいる。彼女の健康を祈りながら彼女の笑顔に似合うような優しい手触りのベレーができる予定。其れとブルーの混ざり糸とギュダ君のベビー服を編むつもりで買っておいた淡い黄色の極細毛糸を2本縒りにしてコレも細かい縞模様にした。彼女と出会って何年になるだろうか。純粋でおおらかで、気持ちのしゃんとした誠実な人柄が大好きだ。今年は彼女にとって決して楽な年ではなかった。クリスマスにとナウエエンの本を先渡しにしてしまったから、なんだか変なのだけれど、ささやかな手の品を差し上げたい。よくこの一年間頑張ってきたね。念願の国家資格も取ったし、健康も取り戻しつつあるし。 ふと思う。大人になって新しく友達になるって難しい。それでも人は少しずつ成長していって私の方に人を受け入れる力が出来てきたら、一人また一人と与えられてゆくんだなあ。
 友達は育ちの遅い植物に似ている。こちらの時間割にはお構いなく、必要な時間をかけてじっくりと成長してゆき、ある日掛け替えの無い友達だったって気がつく。Jちゃんもそんな友達だ。

スナフキン

酷い頭痛でペインクリニックに行った。今電話があって細菌性の髄膜炎だそうな。風邪の菌が入ったんだってさ。あらら・・マア薬を飲んで済むらしいけど。内科に行っただけでは分からなかっただろうね。恐るべしペインクリニック。麻酔科のクリニックはまだ少なくてとんでもなく混む。私も頸から痛みが走るので整形外科では埒が明かず、何とかせねばと思っているから、一日覚悟でいってみようかな。其のうちに。
 姫が今帰ってきて左手が動かせないほど痛むのに明後日の球技大会の練習だったそうな。休めばと言ったら休んだらクラスの女子に何されるかわからないからと本気で言う。帯状疱疹の痛みはとんでもないほど酷いのに。なんだか可哀想。本人は諦め顔で『右手だけでやっているから。バレーボールのたまに当てられないから謝ってばかりいた』と言う。親の出る幕ではないが、イライラする。