昨日はルチアの祝日でした

我が家の姫様の洗礼名がルチアです。北欧では古くから光の女神を祭る習慣があり、それがキリスト教の殉教者聖ルチアと結びついて、今でもこの日はルチア祭として光のお祭りです。ながいながい冬の日々太陽の光がどれほど恋しかったでしょうか。我が家の末っ子は、私たちの人生のいちばん困難な時期に生まれました。光のように明るく周りを照らし、生きる勇気を与えてくれますようにと、クリスチャンネームはルチアにしました。もう一つ堅信名というものもいただけるのですが、本人が選びます。コレはジャンヌダルクです。性格的にはコッチに近いかもしれないなと思います。師匠も、堅信名がジャンヌダルクです。我が家の女達はたくましいです。不思議なものでクリスチャンネームは、保護聖者として名前を頂くのですが、其々、其の聖人にだんだん似て来るのです。
 信仰の姿が似てくればいいのですが、なかなか其れは難しいらしく、寧ろ人生の中で、しでかすエピソードが似ています。例えば長男はアシジのフランシスコですが、これは名うての放蕩息子で、恋多き青年期を過ごしたようです。神から招命を受けてからは、がらりと生き方を変えて、美しい祈りと、貧しさを徹底的に生きる斬新な修道会を設立した事は有名。今のところわが息子は人生前半のフランシスコに似ています。困ったものです。其のうち改心するときが来ると思うのですが。なかなか。恋に生きるところばかり似ています。マアそんなもので周りは振り回されっぱなし。だいぶなれましたけど。
 ともあれ、クリスチャンネームは不思議なものだと感じています。むかしは其の名前を頂いた聖人の遺徳をしのんでその足跡を辿りますようにと選んだものですが、このごろは語感の響きや、美しさで選ぶ方も多く、一般の名前のえらびかたとさしてかわらなくなりつつあるのかなあと思ったりしています。このごろは修道名をあらためてつけない修道会も多くなり、少しつまんないかも。なまえには其々おもいがあり願いが込められているからです。ぴしゃりと一言で全てを表す力があるのにな。残念です。私の大好きな修道女はシスターパスカルと呼ばれていました。今は苗字ですけど。パスカルは復活と言う意味の名前です。素敵だなと思います。