母の日です

mugisan2017-05-14

 もう何かしてあげられる人がいないのだなあとしみじみ思います。毎年毎年、何か気持ちに添うものをと思うことが楽しかった。今はモノではなく思いを届けたいと思う。思いは届くのだろうか。子供が幸せでありさえすれば母はそれだけで自分も幸せになれる。けれど、母もまた一人の人として愛されていることを確認したかったのではないだろうか。自分を子供が忘れていないことを、ひっそりと年に一回確認していたような気がする。人はどこまで行っても確信のない関係性の中を漂っているのだろうか。私自身自分が良き母であるとは思えないし、良き母でありたいと願っていてもどこまで行っても悔いは残ってゆく。至らぬものでという言葉はまさに現実の気持ちであるよ。こうして悔やみながら、ささやかな思いを形にしてゆくのだろうな。

日常が戻ってこない

自分の暮らしの中から、何か良いものが残せたら良いなと思った。「人生フルーツ」を観に行ったのは、母が少し落ち着いてほっと安心したころのこと。前に一冊このご夫婦の本を買って読んでいたから、心惹かれて。私には望むべくもない穏やかで暖かな日々の暮らしがゆったりと流れてゆく。映画ではご主人が亡くなって奥さんが一人残されて、それでも緩やかに時間が流れて行って、なんと強くたおやかな人だろうかとっまた惚れた。私も、こんな豊かな時間を生きていたいのだと思った。誠実に豊かに生きられたら、どんなに良いだろうか。
 
華やかな人生を思い描いたこともあった。いつのころからか、より静かに、よりひっそりと、しなやかな生き方にあこがれるようになった。騒がしいものや、目まぐるしいものに疲れを感じるのは、私の持って生まれた気質のためだろうか。自分の中に激しいものがあると思って過ごした若い時代の、あのうずくような嵐は何だったのだろうか。人生は生きるに値するものだとは思えなかった。死はいつも身近にあった。

あの日からもうずいぶん長い時間が過ぎ、家族を亡くし、死の痛みをいやというほどかみしめた。死のとげは一度刺さったら、心の奥深く根を下ろし消え去ることはない。そして死によって人生は深みを増し、人生の旅は豊かになる。苦しみだけ、喜びだけという単調なものではないのだと、幾度もの死の旅立ちを見送って私は知るようになった。
これが人生なのだ。ニーチェが「ではもう一度」と言い放ったように、言葉に出す勇気はない。しかし、もしまたこの旅をすることになったとしても、私は拒まないと思う。よくも悪くも私そのものの旅だったと思うから。

あれから何があったのか

mugisan2017-05-13

事故にあっただけでもたくさんだったのに大破した車の買い替え。そして職場に事故書類を提出する中で、この組織そのものの隠れた体質を知ったこと。考えて考えて退職しました。


そして3月18日に母が亡くなりました。あまりにあっけなくてあまりに素早くてもうあっけにとられてしまいました。置いて行かれちゃった。まるであきらめの悪い幼い子供のように寂しさだけが押し寄せてきました。



最後の親との別れでした。この年齢になるまで生きていてくれたことに感謝します。ある意味この世では縁の薄かった母と子でしたが、お互いの心の中に特別の思いがあったことは確かです。愛情はいかようにも形を変えて心にあり続けるものだと母は私に教えてくれたように思います。


13年休むことなく働いた職場を去って、今度は私の専門性をそのまま求められる職種の職場から声がかかり四月から勤務しています。三月末で退職し、四月一日から再就職する。人生というものは不思議なものだと思いました。また、ある大学からお声がかかって非常勤講師になりました。これも不思議なことです。
 私の人生はほかの人の人生と比べて20年、後ろ倒しになっているように感じます。ほかの方より長かった子育てと介護の時間が20年の差を生んでいるように思います。その間に学び、試し、続けてきたことのすべてが今遅咲きの花をつけたようにも思います。なんとつつましいと思うような花ですが、咲かぬよりも良いかなと思います。私にはこの年月が必要だったとも思いました。これだけのことがあってもあきらめることのなかったものは、私にとって本当にやりたかったこと、私自身の選択だったと思います。

何も人には誇ることはなくても、自分らしいといえる人生を歩かせていただいていると思います。身の丈に合った、地に足の着いた人生が歩けたら、私の生き方もそれなりに満たされているのではないでしょうか。

今日は事故以来通っている整形外科をお休みして、広報紙の原稿を仕上げ、講義の資料とレジュメを作り、講義の資料の整理と原稿を作る。授業の前の三日間に盛岡である講話の準備に取り掛かれたらうれしいなと思っています。夜前に何とか講義の準備に取り掛かれたので後は突っ走る。こんなに予定が立て込むなんてめったにあることではないから。波乗りみたいな気分。森岡が終わったら次の日大学の初講義なんてひどいね。神様。

今日は忙しすぎて

mugisan2017-05-12

仕事をやりすぎてしまった。頭の中が膨満感で破裂しそう。しごととボランティアの組み合わせを変えなければだめだなと思う。時間だけで合理的に組むと、体のほうが付いていけない。無理は良くないと実感した。気持ちの切り替えに何が良いのだろうか。仕事量に追われてそれすら切ってしまっている。いかん。と心底思った

会議という名の苦行

mugisan2017-05-10

会議というけれど。お互いに相手のいうことの中に絶対に譲ることのできないものを感じ取って、それでもなお譲ることはできない。原理原則の土台の上に絶対正義が立ちはだかる時、個人の事情なんて全く無力。個人のできることはその中でいかようにも自分の進退を考えられるということだけになってしまう。息が詰まる状況の中できhン選が決まるが、メンバーが入れ替わり立場に違いのある人たちに訴えればあっけなく原理原則が崩れてしまう。情が勝つところでは正義も減ったくれもない。こうして」結論はあっちに揺れこっちに揺れ、どうでもいいことになって落ち着く。なんでこんなことのために勢力使い果たしたのかとばかばかしい。