会議という名の苦行

mugisan2017-05-10

会議というけれど。お互いに相手のいうことの中に絶対に譲ることのできないものを感じ取って、それでもなお譲ることはできない。原理原則の土台の上に絶対正義が立ちはだかる時、個人の事情なんて全く無力。個人のできることはその中でいかようにも自分の進退を考えられるということだけになってしまう。息が詰まる状況の中できhン選が決まるが、メンバーが入れ替わり立場に違いのある人たちに訴えればあっけなく原理原則が崩れてしまう。情が勝つところでは正義も減ったくれもない。こうして」結論はあっちに揺れこっちに揺れ、どうでもいいことになって落ち着く。なんでこんなことのために勢力使い果たしたのかとばかばかしい。