あれから何があったのか

mugisan2017-05-13

事故にあっただけでもたくさんだったのに大破した車の買い替え。そして職場に事故書類を提出する中で、この組織そのものの隠れた体質を知ったこと。考えて考えて退職しました。


そして3月18日に母が亡くなりました。あまりにあっけなくてあまりに素早くてもうあっけにとられてしまいました。置いて行かれちゃった。まるであきらめの悪い幼い子供のように寂しさだけが押し寄せてきました。



最後の親との別れでした。この年齢になるまで生きていてくれたことに感謝します。ある意味この世では縁の薄かった母と子でしたが、お互いの心の中に特別の思いがあったことは確かです。愛情はいかようにも形を変えて心にあり続けるものだと母は私に教えてくれたように思います。


13年休むことなく働いた職場を去って、今度は私の専門性をそのまま求められる職種の職場から声がかかり四月から勤務しています。三月末で退職し、四月一日から再就職する。人生というものは不思議なものだと思いました。また、ある大学からお声がかかって非常勤講師になりました。これも不思議なことです。
 私の人生はほかの人の人生と比べて20年、後ろ倒しになっているように感じます。ほかの方より長かった子育てと介護の時間が20年の差を生んでいるように思います。その間に学び、試し、続けてきたことのすべてが今遅咲きの花をつけたようにも思います。なんとつつましいと思うような花ですが、咲かぬよりも良いかなと思います。私にはこの年月が必要だったとも思いました。これだけのことがあってもあきらめることのなかったものは、私にとって本当にやりたかったこと、私自身の選択だったと思います。

何も人には誇ることはなくても、自分らしいといえる人生を歩かせていただいていると思います。身の丈に合った、地に足の着いた人生が歩けたら、私の生き方もそれなりに満たされているのではないでしょうか。

今日は事故以来通っている整形外科をお休みして、広報紙の原稿を仕上げ、講義の資料とレジュメを作り、講義の資料の整理と原稿を作る。授業の前の三日間に盛岡である講話の準備に取り掛かれたらうれしいなと思っています。夜前に何とか講義の準備に取り掛かれたので後は突っ走る。こんなに予定が立て込むなんてめったにあることではないから。波乗りみたいな気分。森岡が終わったら次の日大学の初講義なんてひどいね。神様。