春の気配

こんなに寒いのに、雪だって降っているのに、光はもう春の気配がする。言葉で表現することも間に合わないくらいのほんのかすかな気配なのに、それは心をうずかせる。待ち焦がれる思い。溜息にも似たかすかな揺らぎ。この感覚は北に住むものしか体験できない感覚。厳しい季節が緩み始めるその一瞬の気配を感じ取ることは天の恵みだと思う。

 この前ラジオを聴いていて、北海道出身の人が「短靴」という単語を使っていた。長くつに対する言葉なのだと気が付いた。内地の人にはわからないこの不思議な感覚。まさに足が軽くなる。あの体で感じる春が来た実感は、一冬重い長くつで過ごしたものにしかわからない。毎日履いていれば何時しか短靴の軽さも日常に溶け込んでわからなくなってしまう。ほんの一時しか感じられない身の軽さ。

今この土地でも長くつを履く人はいない。ブーツはそんなに重くもないし、雪が積もらないからおしゃれ以外に必要なこともない。変わったなあ。冬の暮らしも。私の暮らしが変わっただけかもしれないのだけれど。こうやって気づかないままに消えていく感覚ってほかにもたくさんあるのだろうな。そしてその感覚の中に消えていったあの頃の私の姿があったのかもしれない。消えていったことさえも気づかないままに。