年明けに公開講演会をやった

mugisan2017-02-02


企画して講師依頼に奔走し、やっと無事終了した。人を集めることも大事な仕事だから、広報にも気を配る。誰かのために、誰かの助けになるならばと思うと走ることをやめることはできない。プレスも来てくれて次の日の朝刊に写真入りで掲載された。ほっとした。一応その活動の代表責任者なので最後まで気が抜けなかった。



その一週間後「ママが危ないのではないか、今のうちにあっておきなよ」という兄からの一報が入った。97歳。よく生きてくれたと思い、生きてくれてさえいればそれで心が折れないで済むような存在だった。母というものはいるだけで、何をしてくれなくても希望をもたらす存在だった。それは現実に母から何をしてもらったのかということより以上に、自分という存在の原点であり、この人が守ってくれた時間があったから今私という存在がある。この人がおなかの中の私を守り、新生児期間を守ってくれなければ私は存在しない。体を流れる血もこの体のどのパーツもみな母が 与えてくれたものだ。


私は母と長い時間を共有できない環境だった。それでも自分の体の特性、感性、感覚、ものを作り出す力、感受性様々な生きる力に、似たものを感じる。むしろそれは、私の中の母の姿を感じ取る作業でもあった。「絆」という言葉はともに結び合い、「互いに負う」という意味を持つ。よいこともそうでないこともみなこの人から私にもたらされたものだと感じる。いまその人が旅立ちを間近にしている。私は自分の心のふるさとを失おうとしている。