この頃よく夢を見る

日差しの暖かさ

 亡くなった人と、あの事、この事の続きを語り合ったり、結末を分かち合ったりする夢だ。今はもうすっかり心の奥深くしまい込んでいたものを夢の中で私はほどいて、心の中に広げているらしい。
 まるでさっき分かれた人に「それで?」と促すように。


 亡くなっていった者たちが答えを求めているのか、私の心が収まりどころを探しているのか、毎夜、毎夜、私は言葉の海を泳いでいる。朝、目が覚めたとき詳しい成り行きは覚えていないのに、その心のざわめきは消えていない。悲しいことを悲しいと感じ、怒りを怒りと感じるまっすぐな気持ちを夢の中で体験しているのだろうか。
 目覚めてしばらく余韻に身を任せてぼんやりとしていることがある。あえて思い出そうと閉じた心を開こうとはしない。ただかすかな手触りをいとおしむ。


 父たちも、息子も春に旅立っていったから、春の夢は、私にとってこじ開けてはいけない鶯の間のようなものなのだろう。不用意に開けてしまえば鶯は飛び去ってしまう。