あの日から五年たって

駅ビルの工事

 何が変わったのか。何も変わらないように感じながら、ふと空虚な気持ちになります。私たちはあの日から何人の友を旅立たせたことか。ある人は過労で、ある人は自ら命を絶って。



 別れを繰り返し、次はきっと自分の番だなと思いながら生きてきました。先月親しかった友人が帰天しました。人のために命を削って燃え尽きて旅立っていったような人生でした。私はそんな立派な人生を生きてきたわけではありませんが、それでもこの五年間は、思わず「神様もう沢山です。これ以上無理です」と思わずつぶやくことがあったなあと思います。


 自分の力ではどうにも動かすことのできない重い荷物を、自己責任とかたずけられてしまう。そのことに対して返す言葉もむなしさが先に立つ。何も言わず飲み込んで、担いでいくしかない。生きるってことはこういうことだよね。死んでいった者たちは優しいまなざしを残して逝った。私はあのまなざしを残せるのだろうか。



 生きることを楽しみ、生きることを自分の喜びとして、初めて私は私を生きたといえる。自己責任てそう言う事でしょう?私が自分に生きてきてよかったね、と言えなければ、誰がそう言ってくれるの?何の意味もなくなるじゃないの。自分独りで死んでいくにしても、そこに満たされる思いがなければ、自分の命を生きた甲斐がないじゃないか。



 もう少し先まで行ってみよう。もう少しだけ・・・



 今更ながら全壊だったんだよなあと思う。疲れが出たって、体を壊したって、弱音を吐いたっていいじゃないか。



五年頑張ったんだから。あと三年頑張ってみようか。