あの日が近くなって

駅西口の風景も変わった

五年前の今日、仕事で運転中に震度5の地震があった。交差点で信号で止まっていた。そして、私はそれが前兆だと知らなかったけれど、それが前兆だと気が付いたこの土地の人たちは、近いうちに大地震が来ると、家の中をかたずけ、棚から物を下ろしたという。それはかつての自分自身の体験から学んだもので、よそ者にはわからない知恵だった。大きな地震の前に、いつもとは違う揺れ方の中くらいの地震が来る。そしてやがて、考えられないくらいの大地震がやってくる。あとでいろんな前触れの情報を土地の人たちから聞いた。


私たち家族は何も知らなかった。自分の住居が全壊であったことも、この機会に引っ越せは見なし仮設でしばらく何年間かは家賃が補助されることも、何も知らずより被害の大きい人たちの支援に走り回っていた。そして気が付けば周りの部屋は空き部屋になっていた。両隣が引っ越していなくなったことも、知らなかった。行き場所のない私たちは、一年間の工事の間ネットをかけられた建物で暮らした。鬱状態に落ち込んでゆくのを感じて薬を処方してもらうようになった。自分たちがじわじわと請われてゆくのを感じていた。みなイライラして、お互いの関係がささくれていった。



あの時のことが脈絡もなく思い浮かぶから、日記を書くことが苦しい。あの時の事、あの風景は噴出してくると体が嫌がる。胃が痛くなったり、背中に痛みが走ったり、眠りが浅くなったり、蕁麻疹が出たりする。心や頭は冷静に状況を思い返しているはずなのに、体はこんなにも嫌がる。体重がどんどん減っていく。