結婚記念日

雲から陽がさす

 調べてみたら旅行婚式だった。なるほどね。フランネルというのもあったけれど、あまり節目にはならない年数なんだなと思った。いちいちあれがほしいこれがほしいというほどミーハーでもないし、ただ御互いによくまあ辛抱しつつ、希望を抱いて生きてきたなあと思う。

 片方がうつになった時、二本のろうそくが並んで点っていて、たとえ一本の炎が消えてももう一本の火が飛んでまた炎がよみがえる。そのイメージを祈りの中で与えられて乗り切った。結婚はどちらかが信じて、希望をもって寄り添っていくことができれば、続いていくし、その中で修復したり、与えあったりする愛情が育っていく。
 結婚生活は資質だけで続くものではない。互いに成長しつつ相手に必要な自分の形を知ってゆく。自分の生き方を愛情ゆえに変化させてゆくことは妥協ではない。結婚という生活形態は、否応なしに自らの人となりを考えさせ、立ち向かわなければならない気持ちにさせる。相手に求めるだけではやっていけない。そして昨日と同じ今日は存在しない。日々新たな一日の始まりと終わりを紡いでいく長い長い旅である。時々、結婚しなかったらと思うこともある。逃避ではなく、人として自分がこの生活に不向きであったと思うことがある。あまりに強い自分への思いゆえに。なんと御しがたい自分であろうかと思う。


 今日私は新たにこれからの日々を思う。過ぎてきた日よりも、これからの日々のほうが確実に短いだろう。やらなければならなかったこと、伝えなければならないこと。与えなければ後悔するであろうこと。さまざまな期限付きのことを静かに果たしてゆく時期になったと思う。まだ間に合ううちに。時間が残されているうちに。そのことに気付き、決意する年齢に達したのだな。
 

 お互いに、病気を抱えて初めて命の終わりがあることを実感したからこそ、こんな思いがわいてきたのだと思う。言葉としてではなく実の重みをもって。受けるものであることもさりながら、与えられるうちに与えつくしてゆく生き方を選びたいと思う。