二十年前の日記

夕焼け前のモノクロの空

 ふと手に取ったのは二十年前の日記だった。何気なく読んであのころのことがまざまざと記憶に戻ってきて、眠れなくなった。つらい毎日だった。一文字ごとにこの言葉の裏にかけなかったことが思い出されてきて、悪戦苦闘している自分がいじらしくなった。よくぞ今日まで生きてこられたなと思う。家族の中に大嵐が起きていて、雛を翼にかばうような日々だった。今その嵐も落ち着いて何事も遠い話になってしまったが、いったんk峰して何気ない日々の記録を見るとまざまざと戻ってくる。
 

 起きてしまったことは仕方がない。赦すことでしか過去からの解放はない。赦すことは忘れることと人は言うけれど、忘れることではないように思う。そのことはそのこととしてしっかりと記憶していながら、その出来事にまつわるもろもろの感情を認めつつ、支配されない自分でいられることだと思う。人間だもの。なかったことにはならない。そのことによって生き方が変わらざるを得なかったことを忘れる必要はない。それでも赦そうと思う。幾度でも赦そうとする。赦し続けることだと思う。憎まないこと。呪わないこと。自分が生きにくくならない方法を選ぶこと。

 思い出して眠られない夜くらいあったって仕方がない。その時思い出しているのは相手のことではなく、そのことに心を砕いて対処している自分自身の痛みだ。お前は頑張ったね。今の私なら抱きしめることも、一緒に泣くことも出来る。お前ががんばったから、今ここにこうして生きているんだと言ってあげられる。赦すということは相手の問題ではなく、自分自身の心の問題なのだと私は思う。