今思うこと

 私たちは巨大な消費経済社会の中でしか生き方を知らないのかもしれない。自分で生き方を決められる範囲は狭まっている。社会が人生の節目の基準を決め、その中でささやかに自分らしいと思う行動と選択をする。
 実は何も自分らしい独自性などないのに、あたかも自分ですべての責任を背負って生きているような錯覚に落ち込んで、自己責任と思い込んでいるのではないのだろうか。

 親がどの程度の社会的位置に暮らし、どの程度の基本的経済力を持っているのか。それが次の世代の選択肢を決めているのであれば、私たちの人生は実はすでにからめとられているのではないのか。そこから脱出するためには、宗教ないしイデオロギーなどの精神社会に出口を求めるか、軍事の分野に新たな階級制を求めていくのか。これは何とも、赤と黒の世界観ではないのか。
 ISに出口を求めようとする若者、禅や修行に自らを駆り立てる若者、ナショナリズムやより過激な国家主義民族主義に駆け寄る若者、暴力かはたまた命がけの人道主義か。そして、あたかも何事もないかのように穏やかに、守られた環境の中で、社会の上層部でとしてっ恵まれた人生を送る、勝ち組と呼ばれる一握りの人たち。
 何ともギリギリの研ぎ澄まされたものだけが真実であるかのようなこの風潮はなんなのだろうか。穏やかに緩やかにうねるような生き方をもはや見失っているかのような昨今の世相に、不安を感じている。