今夜は夜空を眺めたい

 幼いころの思い出を話す相手ももういなくなってしまった。兄弟姉妹というものはある時間を共有する関係だ。たとえそれぞれの人生が異なっていてもあの時の、あの記憶が皆無なわけではない。一つのシーンを話しながら、それぞれがそれぞれの記憶の扉を開けたにしても、その戸口までは共通のきっかけがある。
 兄弟姉妹を失うということはもしかしたら自分の人生の扉の鍵をなくすことに等しいのかもしれない。今、家族関係は複雑に入り組んでいる。親の離婚によって、再婚によってそれぞれに別れと出会いが絡み合う。そしていくつもの記憶の鍵が失われてゆく。
 人はいつの日にか失った記憶の中を歩みだす。ある人はそれを認知障害による妄想と呼ぶ。惑いの中を過去の自分に成り代わって現実の自分が生きていることは、本来しあわせなはずなのだ。それがおぞましいこととして取り扱われていることに、悲しみを感じる。現実にかみ合わない言葉であっても、今、あなたはどこにいるの。何歳なのとそっと聞いてみたい。それがその人にとって居心地の良いことであればそれでよいのではないだろうか。無理に、どうにもならない老いの現実に引き戻さなくても。