仕事を辞めた人が

夕陽から光がのびる

ボランテイア志望でやってくる。社会的に地位もあり、一筋の道を歩いてきた人ほどその殻を打ち破ることができず、本人も訓練者もとても苦労する。身に付いたスキルをいったん離れて、自分自身の完成と向き合って対象を受け入れる訓練は本人にとっても訓練者にとっても身を削ることになる。今まで社会的に背負ってきた看板を下ろして一人の裸の自分になるということはとても難しい。それをしないと相手を受け入れることも、相手の価値観を受け入れることも、共に同じ地平線を見ることも難しいと思う。それができなければ寄り添うことはできない。
 仕事をするということは、本来人間の部分を切り離して普遍化してゆくということを含む。わたくしではなく、公に誰にでも同じ結果をもたらすことができなければならない。子であることを普遍化してゆく作業をここでは求めない。むしろわたくしが、今ここでどう感じているのかを大切にする。今まであえて捨ててきたものを意識させることがどれくらい難しいのかは、やってみるとよくわかる。しかし、もしかしたらこれが本来の人間としての仕事のありかたかもしれない。