あまりにもいろんな出来事があって

夕雲を光らせて陽が落ちていく

 今日意識して、仕事の整理をして、やっと時間を見つけました。ここからまた振り返って日々のことを追記してゆきます。


 八月三十日はあの子の誕生日でした。26歳になるはずでした。
 あの子が亡くなってから十年の日が経ちました。十年・・・・長い時間が経ったように人は思うでしょうが、子供を失った母親の心はその時間で止まっているので、昨日のことのように、いえ、たったさっきのことのように、すべての情景が目に浮かびます。あまりにも強烈で、あまりにも生々しくて「悼むこと」それが母親の定めなのかもしれないと思うのです。
 仕事柄、たくさんの人生と出会います。その中で語られる悲しみに比較はないのですが、傷の深さ、傷みの激しさは時間を超えて母親の人生を変えてゆくようです。


 私はあの子が亡くなってから、今まで踏み込まないできた社会福祉の現場の仕事を生活の中心に据えました。もしあの子が生きていたら、きっと手を差し伸べるであろう場所、足を運ぶであろう場所に、私の時間をささげたかった。カウンセラーとしては立ち入ることのできない場所、体験することはできないであろう支援に、別の職種であれば入ってゆけることを、あの子が教えてくれたように感じました。優しさというものほど強いものはないとこの頃思います。真の優しさは人の命に関わることを恐れません。一つの命を救うためならば己の身を危険にさらすことさえためらわない。まさにあの子の生きた道はそうであったと私はこの頃思います。