寂しいということと孤独であるということの

 よく混同されますが、この二つの感情の区別をきちんとつけないと、生きていることが苦しくなります。一人ぼっちで生きている人から、寂しさを訴えられることがあります。話を聞いていると、その人自身は身の回りにたくさんの人との関わりがあり、それなのに意識としては一人ぼっちだと思っているのだと気付きます。
 気持ちを分かりあえて自分の悲しみだけではなく相手の悲しみも又わが心に招き入れたいと思う相手がいないとき、人は孤独だと思うようです。人間は果てもなく共に在りたい、分かち合いたいと願うもののようです。痛み合うこと、悲しみを受け入れること、苦しみに立ち会うこと、それが福祉の原点だと思います。


 福祉行政にその原点を持ち込んだら、仕事にならないといわれることがあります。割り切って、切り捨てて、あきらめてともいわれます。そんなとき相手は孤独感を感じるようです。ごめんね、これしか関われないのと言った時の相手のあの表情を、私は今日も持ち帰ってきました。私の限界は社会福祉の限界でもあります。それを超えて関わろうとしたら、社会の秩序は保たれなくなるのでしょう。

 もう少し柔軟な物の考え方が許されるならば、孤独感を埋めることができるかもしれません。社会が人格をもって個人と関わることは不可能でしょうが、その一瞬可能になることがあるのではないでしょうか。ショートする火花のように。そんなことを考えながら、また一つケースを他の担当者にゆだねました。私との契約は満期になったので。


 祈ることができる。
 その人を心に抱えていくことはできる。
 そう思います。