生活費が足りなくたって

定禅寺通の木の葉影

 自分で収入を増やす手立てを持たない生活弱者はこの物価高騰の中をどうやって暮らしていったらよいのだろうか。食費を削って、欲しいものを我慢して、それでも生きてゆくだけで精一杯。蓄えはできない。そんな人にタバコを止めましょう。と言ってみてもすでに切り詰めきって最後の楽しみなのにという本人の痛みが伝わってくる。こんな庶民のつつましい生活の悲しみを今の政府は知っているのだろうか。生活保護には今一歩至らず、非課税世帯であって減免を受けられるだけ受けていても、今日のこの一本の煙草に罪悪感を持って暮らしている普通の庶民のいることを。
 食費を削って、衣服費も削って、賞味期限切れと、中古衣類で生涯を通そうとするしか今日の生活を送れない気持ちを分かっているはずもない。この国の多くの庶民の消費税の行く先を明らかにしてほしい。なぜ暮らしがこんなにも貧しいのか。個人責任というばかりで何の対策も取っていないではないか。若者の絶望的な就職状況を改善しないで国を愛せと言われても順序が逆だろう。生きることの苦しさの本質は個人ではなく国にあると私は思う。