まだ中年の入り口で

県庁前の若銀杏2

 脳梗塞で半身不随になってしまった人がいる。○さん。複雑な家族環境で結果的に孤独な人生を生きてきた。知的障害もあり、さまざまな職業を転々とした後、ホームレスも体験した。私が関わりを持ったのはその後のことである。その時はまだ健康な体を持っていた。自立支援組織の援助を受けながら、人生設計を考え、作業所で働きながら生活保護も受け、住む場所も見つけて転居して直後の発症だった。○さんの口からなぜとか、どうして自分がとか人生を嘆く言葉は出てこなかった。驚くほどに。今この現状を受け入れて、ならば自分にできることは何かと必死で考え、必死でもがき、自分なりの努力を重ねて、病院や自立訓練の訓練者には内緒で、毎日地道な努力を重ねた。私が道が凍っているから今日は外に出ないよね、と言われても「時間をかけて気を付けて歩くから」と聞かなかった。
 その間もいろいろな小さな事件があったけれど、この人は今は公共交通機関を駆使して、どこまでも自力で出かけられる。
 この人の生きる姿を見ていると、人が生きるということは何が不幸せで何が幸せなのか、私たちの基準からは考えることができない。そこに生きる者の本当の目的はどこにあるのかを私は感じる。命の求めるものは、限りがあっても自分で決めることのできる自由と、自分が生きていることを確認できる達成感。そしてそれを評価し、支えてくれる支援者たちと、聞いてくれる耳。この社会に自分は孤立した存在ではないという安心感。そうか、例えそれが組織の中の仕事としての関わりであったにしても、自分は見捨てられはしない関係性の中にいるのだという安心感。