なんて顔しているの?

 ほかの部署の人に言われた。自分では元気溌剌のつもりでもふとした表情に出てしまうものらしい。正直に「くたびれました」と言って報告書を置いて今日の仕事は終了。何気なく取られた写真の表情が自分でも切なくて、周りに申し訳ないなと思う。人間の顔は自分のためだけにあるのではないもの。仏教では顔施ということばがある。今の私には意識して表情を人に向け続けていられる時は良いけれど、無意識の時の自分の表情には、自信がない。無意識の表情にはその人の心の神事9つが出る。怖い。セラピストは意識して穏やかで温かい場の雰囲気を保ち、自分もまたその一部であろうとする。一人の時の自分の表情を見たら、私はひどくがっかりするだろうな。
 昔、一人でいるときとても美しい表情を見せる人がいた。この世的には、目立たない人で取り立てて印象に残る働きもしない人だったけれど、ふと目に留まった表情の美しさに胸を突かれた。端正な静謐な表情だった。心の表れが垣間見られたのだとしたら、私たちはその人の真実の価値を知らないのだと思う。誰に知られることもなく、しかししっかりとした歩みを残した人だった。この世の業績しか見ない私たちは、その人の真の値打ちを見る能力がなかったのだと思う。「あなたは、神の目に値高い」という言葉があるが、そのような生き方を私もしたいと願う。
 もし、私に到達したいものがあるとすれば、無意識の中に保つあの表情だろう。