淡々と

どこまで行っても欅のトンネル

 生きるための一日を今日もいただいた。この頃ふと目にしたものの中に物故者となった友人知人の名前を見ることがある。知り合ってからもう何十年もたって、その出会い人生の一時期を共に学び、働きそしてお互いにそれぞれの道を歩み、ああ知っている人です、という程度の感覚になっている。しかしなくなったのだとわかった一瞬あの日々が怒涛のように押し寄せる。出会ったというだけのそしてそれぞれが友人として共に過ごした時間の中に畳み込まれていた記憶の色鮮やかさに圧倒される。そしてそれらの記憶は潮が引くように記憶のさらに奥深くに静かに退いてゆく。生きている者たちと、もはや生きてはいないとわかった者たちの間のこの帳はなんなのだろうか。心はこうやって心自身を守っているのかもしれない。
 とにもかくにも今日一日できることをしっかりとやっていこう。