お蘇り

 緊急入院してここしばらく訪問要請のなかった○さん。いきなり退院してきたと知らせがあり、急遽駆けつける。認知が進み入院していたことはわかるが、自分の身に何が起こったのかが記憶に無い。ヘルパーさんがどんなに苦しんでいたのか、大変だったのかを報告してくれたが隣りに座ってそれを聞いているご当人は???という顔をしている。ああ兎にも角にも帰ってきたのなら、あたかも何もなかったかのように今日の仕事をする。今、ここでの状況で生きているひとは、ある意味で自由だなと思う。このまま人生を閉じることができたらその旅立ちはどのようなものなのだろうか。過去に引きずられない生き方を体験してみたいよ。死にゆくひとの後悔の痛みを見ていると、もしこの記憶がなかったならどれほどに旅立ちは軽やかに成るかと思う。キュブラー・ロスが自分自身の死の予感に関して書いた本のなかに、死は蝶がまゆから抜け出すように新たな生命への脱皮であるのならば、過ぎ去った日々の記憶はなんの意味も持たない。そう思えば認知症は決して悪いものではないだろう。自分の死を持ってしかその真実の姿を知ることはできない。