今日はお葬式

雪が近い

 葬儀社からご遺体を葬儀ミサの行われる教会に移動するとき、きちんと儀式を行って移動する。その時の司式は親分の仕事。朝早く出かけていった。24日に事故が起こって、運ばれた病院に夜遅く駆けつけ、霊安室での祈りに立ち会い、葬儀社と遺族、司祭、教会との第1回目の打ち合わせを行った。25日、今度は通夜、葬儀ミサの打ち合わせ。教会の葬儀ミサのための祭壇作りの打ち合わせと、自宅PCからの今までの祭壇の写真資料などを準備する。ほとんどの流れと人員の手配や指示をしなければならない。それと平行して典礼の歌や楽譜など細かな、しかし欠けるとミサが滞るようなことも彼が決めてゆかなければならない。
 同時に異なることを平行して処理し、話しあうためには集中力、記憶力、こまやかな気遣い、全体を見通す統括能力が要求される。司会進行役も当然役割の一つで、毎回の喪服のクリーニングが終了すると、やれやれと思う。考えてみたら4月の就任以来、葬儀のなかった月がなかったような気がする。もちろん無報酬で実費も出ない。全て持ち出し。
 殆どの人は自分がその立場になければわからないことだと思う。これでは教会委員長は、仕事を持っていながらできるような仕事量ではないと思われるし、ある程度の経済力と、体力がなければ引き受けられないと心底思った。誰もそのことには気が付かないけれど、教会が教会として機能するためには、この役割がどれくらいしっかりしているかが問題だ。彼がいつ潰れるか、見て居る私達家族はハラハラしている。
 葬儀、出棺、火葬、納骨が終わればやっと一仕事終わる。だれもやりたがらないし、やっても文句を言われるばかりで、こんな割の合わない仕事はないなと思う。しかし、これが彼に与えられた役割である以上淡々とこなしてゆくしか無いな。人を見て行動しない生き方を貫いてきた彼らしくやるしか無いな。無事に任期が終わることだけを祈っている。