ミサの直前に

冬至 落日

 教会の姉妹が目の前で車にはねられた。蛙ちゃん夫妻が居合わせた。人の死の瞬間に立ち会うことはどんな時も痛みを呼ぶ。まして一年で最も喜びにあふれたその時の直前に、不意打ちの死を目撃することは、心に深く痛みを残す。もしかしたら何かしてあげられたのではないのかとの思いが胸に残る。

 もしかしたら、と思ってもその瞬間にすべての答えが出ている。命は二度と戻ってこない。それだからこそ人は、自分の行為が正しかったのか悩む。命が終った時、すべての手立ては負けで終わる。にも関わらず、ひとは悩む。悩むこと自体、尊い行為だと私は感じる。祈りはその心から生まれる。

 深夜、病院の霊安室で彼女のために祈った。こんな形で旅立って行くなんて本人が一番びっくりしただろう。しかもクリスマスイブのミサの直前に。これが人生なのだと思った。人は様々な計画を立てるが、ただ神のご計画だけが通る。わかっていても、ひとはその中でもがく、そのことによって神の計画もまた変化してゆく。運命は固定したものではない。絶えず私のありかたによって、変化し、成長してゆく。その意味では固定された動かしがたい運命は、存在しない。

 彼女の白い顔を見ながら、そんなことを思った。神様のもとに飛んでいってしまったなあと思いながら。
 あなたは、私達にいいものも、悪いものも、ありのままに惜しげも無く与えてくれて、その人間らしい姿を通して、私達はあなたを通して働いておられる神の手を感じていましたよ。完璧な近寄りがたい信者の姿ではなく、生きている人間がもがきながら前に進もうとしている、真摯な姿を見せてくれたことに深く感謝しています。あなたを通してたくさんのことを学べたこと、本当にありがとう。