男性の一人暮らし

冬の夕陽

 私の担当している方達の家で男性は圧倒的に一人暮らしが多い。独居老人はどうしても男性の方が悲しい暮らしぶりだと感じる。それは生活能力の差だと思う。なんといっても家庭の中で技術を身につける時期に外で働いているのだから、致し方ない。もしくは、誰かが代わりにやってくれているから覚えなくて済んでしまう。そして母親が動けなくなって、もしくは離婚して、もしくは自立生活を始めようとするとき、じぶんが生活を営むための手の技を持っていないことに気がつく。
 そこから果たして自立した生活を手に入れることができるのか、それともその場しのぎの、生活とも呼べないような状況に落ち込んでしまうのかは、その人自身の生きることに対する熱意にかかっているような気がする。
 多くの孤独な男はめげやすい生き物だと感じる。生活を幸せに送るためには生活技術がある程度以上のものであることは不可欠であり、それは「人として」の話で男だ女だということではないのだ。本当は。これをおかしなものにしたのは、ジェンダーの考え方なんだと思う。
 女性の独居老人もいるし、全く生活技術を持たないで人生を送ってきた人もいる。その人がどんな人生を送ってきたのかを聴くとき普通に暮らせなかった事情を思う。ささやかなことの積み重ねの果てに人生は打ち立てられてゆくものだ。つまらないと思うことができなければ成り立たないものだ。掃除、洗濯、調理。どのようにこの3つを組立ててゆくのか。そこを立て直すことから一歩が踏み出せるのだと思うのだが。