福島

 暑かったです。まるで時間が止まっているかのように、昔住んでいた面影がそのまんま残っていて、車でグルグルしてみました。カエルちゃんの同級生の家の前を通りかかると。お父さんが仕事をしていました。あの日のまんまの暮らしがそこにありました。お元気で。そっと通り過ぎました。
 桃は買いましたよ。メールでゲットしたから食べにおいでと知らせました。今は「暁」という名前の桃です。9月の上旬に出るのが「夕空」という品種。真っ赤な桃で天津桃のような綺麗な桃。暁を食べて夕空でしめる。川中島とか大久保という白桃があって美味しいが濃厚な甘さと豊かな香りはこの二品種が好き。高速料金とガソリン代をかけて福島まで行くのは選果場でもぎたてのものを買えるから。この街で暮らした日々の記憶が蘇ってくるから。あの日から20年の歳月が過ぎている。あの日々母や父にこの桃を送った。桃はやわらかなものだと思っていた両親はカリカリ以外は食べないという福島流の食べ方には馴染めなかったけれど、柔らかくなるのを待って楽しんでくれた。BABAがなくなった時口の中に桃の小さな欠片が残っていた。この世の最後の食べ物だったのだ。
 帰りは高速ではなく一般道をゆっくり走ってきた。住んでいた街、通った学校、教会、食べに行ったお店、遊んだ山、皆懐かしく懐かしく。あちこちで除染作業中の掲示を見て、作業を見て、胸が痛んだ。なぜこの街が、あの人々が苦しまなければならないのだろうか。
 もし私達がここに暮らしている時に起こったことならば、私達はどうしただろうか。きっと今と異なる人生だったに違いないと思った。ほんの僅かなことが人生を変えてしまうのだと思う。被災者の誰が悪いわけでもない。あの惨事は一方的に降り注いだのだ。風評被害に痛めつけられながら、それでもこうやって美味しいものを前と同じように作って出荷している人たちの努力を無に帰してはいけない。ごくアタリマエのことを当たり前にやっていくことが、復興を支えるのだと思うのだが。