おせちの残りの百合が咲いた

鱗片育ちの百合

お正月にゆりの根を使って、その小さな鱗片を埋めておいたら、こんなに細い少年のような花が咲いた。細くて風にだって耐えられそうもないのに、花は完成された美しさを持っている。自然の造形は完璧だなあと思う。ベランダのささやかな土の中にこうやって小さな喜びがあるのは、震災の後ほぼ一年をネットでくるまれて暮らしたことがあるせいだろう。空が見える。雨の音が聞こえる。風が吹き抜けてゆく。陽光が入って、空に雲が見えて・・・・・この暮らしがいかに多くの喜びを生み出していたのかがわかる。
 今週末は青森県西目屋の白神山地で研修がある。秋田県側も行ってみたいけれどまずこちらから。癒されるという言葉は嫌いだ。それは事実と反するから。

私自身が森の中で自分のエネルギーを解き放ち
解放の中で自然に還る。
そして自らの力で傷を塞ぎ、
生きる力を取り戻してゆく。

自己再生はあるが他者から生きる力や元気をもらうなんてことはない。どんなに愛していても、その人が生きる力はその人のうちにある。私の力や元気や命を分けてあげる事も、増やしてあげる事もできない。命はその人自身のものだから。その人がその力を信じることを支える。そのことが自然の役割であり、周りの人間の生き方から学ぶことでもある。

森は心のゆりかごであり、帰ってゆく場所でもある。