昨日古本を買った

 時々、中古の本を探しにゆく。引越しで何処かに行ってしまった本、子どもたちの大好きだった絵本を探したり、105円で昔自分が心の支えにしていた本をもう一度読みたくなって探したりする。今回は赤毛のアンと、若草物語を見つけた。アンは花岡さんの訳。初めて読んだのがこの訳文だったのでほとんど暗記しているこの訳が好き。亡くなった妹はこの本に自分の人生を重ね、カナダに移住した。彼女なりの生きる道標だったのだろう。妹が亡くなって改めて読み返したくなった。幾ばくかの責任も感じる。この本を幼い彼女に読ませたのは私だったから。ページを捲るたびに、アンの姿に妹が重なって辛い。でももう一度読みかえしながら、私は妹とまたであってゆくと思う。曲がり角はいつもある。きっと曲がった先は幸せが待っている。本当にそうだったのかと、そう思いたいと私の心は呻く。妹は日の当たる道を歩んだのか?
 若草物語は、私のガイドブックだった。自分の生活の只中で、希望を持ち続けて信仰を生きる姿を探していたように思う。おとなになって実際に自分の足音を聞きながら生きる中で、この本の伝えたかった大人に向けてのメッセージを読み解くことがある。この前読んだのは何年前の事だったのだろうか。懐かしく、「また生きていこうか」と思う自分を取り戻す。きっとこの本に出会った頃の自分にまた巡りあっているのだろう。内容ではない。自分の中の何かを呼ぶきっかけなのだと思う。