働くものの権利を

雲が明るい

 昔々子供の頃、父はこの日パレードの先頭にいた。車に乗って手を振っていた。小さな私は胸をときめかせてそれを沿道から見ていた。父は大きな労働組合の委員長をしていた。その頃はよくストライキがあった。その場所に遊びに行った。子供はあっちに行きなさいとは言われなかった。のんびりとしたストライキだった。
 あの頃のメーデーはほんとに働くもののお祭りだった。今、働けない若者、働いても働いても生きてゆく場所が与えられないい若者がたくさんいる。人生を考える前に今日の糧をどうしたらよいのか、自分ではもうどうにも道が見つけられない。メーデーは悲しい。この日は権利を訴える手段さえ持てないものを切り捨てたまま日付だけが過ぎてゆく。
 父がもしこの有様を見ていたら、そして自分の孫達が苦しんでいるのを見たらなんというだろうか。父は生前人が生きるために戦うとき、糧を得るために戦わねばならないとき、それは人ごとではない。自分も戦いの中に立たねばならない。と言った。私だけ安全であれば良いという生き方は父の心のなかにはなかった。
 胸を叩く。この世情の有り様は決して人事ではなかった。私達が見ないできた多くのこと、声を上げずに来た多くのことが子のうんざりする現実を生み出してきた。メーデー。この日に参加することさえできない多くの人々を思う。
 日々ホームレスの人々と関わっているが、この人達がなぜホームレスになったのか。個人責任と言えないものを感じている。