木の芽が萌え出すと

雲が行く

人の心もざわつくものらしい。関わっている人たちが暮らしの中で思いもかけない決断をしてその後始末に追われている。本人にしてみれば今はそれしかないと思い最良の判断なのだけれど、はたから見ているとそれどころではないでしょうと言いたくなる。タイトですり抜けるような出来事が起きてしまう。例えば手持ちの金額すべてをわけのわからないことにつぎ込んでしまい、さて今日から何を食べて暮らそうかという具合。無いものは無いし、借金することも返す当てがないのだからできないし、第一それは選択肢にはない。本当にお米をありったけ炊いてあとは水を飲んで過ごすということが起こる。お米がなければ水だけ・・・・
 身にしみることも大切な経験値なので是非体験してもらうことになる。私はそれを悪いことだとは思わない。言葉で言ってもわからないから体験してもらう。一応忠告はするけれど、自分が痛まないとひとは学ばないみたいだ。
ただ後始末している私はそれなりに悲しい気持ちになる。貧しいということの切なさを見守るってとてもしんどいよ。