きな臭い政治家の発言

名前は合歓

 私は戦争を知らない。自国が戦火に焼かれた実体験がない。ただ絶える事無くこの星はどこかで戦火に焼かれてきた。今憲法を改正しようという声が大きくなってきつつある。近隣からの威圧的な行動に対して武力行使ができないから戦争をすることを含めた自衛権を行使できるようにしたいというのはいつの時も聞こえていた声だ。それを今日まで許さなかったのは自らが戦火に追われた記憶を持つ世代が生きていたからだろう。生きた記憶がその道を塞いできた。今その世代はいなくなりつつある。声は小さくなってきている。しかし歴史に学ぶことはできるはずだ。この国のかけがえのない平和への思いを手放して良いのか。
 平和とはなにか。
それは失ったら二度と戻らないものではないのか。
武器を持たないことは裸になることなのか。
身を守るには武器しかないのか。
外交が不得手だから武器に頼るのか。
戦うのは政治家ではない。
国民の一人ひとりだ。
私は人を殺せるのか。
命令されて
止むを得ないとしたら人を殺せるのか。
殺してまで守るものって何?
心は正常でいられるのか。
ベトナム戦争は?
中東戦争は?
フォークランドは?
きりがないたくさんの戦場の名前
たくさんの若者が駆りだされ壊れて帰ってきたあの教訓は?
力は心よりも正しい選択なのか。
人類は
殺しあわなければ物事を解決できないほどの
知性しか持っていないのか。
テレビのスイッチを切るように
物事の流れを切ってしまうことができたならと思う。
切なく思う。
子供を理不尽に失うことの痛みを知っているから
私はそう思う。