私の周りにも

そらを切る

 お腹に来た人や喉をやられて声が出なくなった人がいる。今年の風邪の症状は様々に分かれるらしい。誰もがお揃いで同じ風邪にかかることのほうが変なのだろうけれど、いつの間にか風邪の流行パターンは一緒という感覚になっている。

 風邪の種類にかかわらず、弱ったひとは風邪でさえも命取りになるし、施設で集団発生しようものなら、ニュースになってしまう。だからたとえ健康であっても、このごろの施設は玄関で手をアルコール消毒し、さらにマスクの着用がなければ施設に入ることができない。
 その結果、私は誰でしょう状態になる。予定表を持たないお年寄りは外部からの訪問を予見できないから、薄暗くした部屋で,うとうとしている。月一回の訪問間隔では記憶の隙間に落ち込んでしまい、訪問者に関する記憶は、認知の扉に登ってくるまで時間がかかる。
 ましてマスクで顔の殆どを覆っていて声もマスクでくぐもって、視力の衰えもあって、ゆっくり胸襟を開くところまでで持っていくのは大変なこと。「この人は誰なのか」と緊張させているなと申し訳なく感じる。それでも一時間の間になんとなく思い出していただけて、さて退出の前に次の訪問日と「なにかお困りのことはありませんか」と、必ず問いかけるが、以前は残してきた家の様子や、いつ戻れるのかと問うてきたひとが、いつの頃からか「なにもないねえ」と答えるようになる。
 押し殺してしまった言葉、閉じ込めてしまった思いはたくさんあるのだろう。ここで生きるためにそうするしかないことは、悲しいことだろう。こうしてこの現状に順応していくためにはこうするしかないのだと本人もわかっているのだろう。
 訪問した時、入室してベッドサイドに立つ。この人はよく夢うつつの時は大きな声で子守唄のようなものを歌っている。ある時それがお経であることに気が付き、揺り起こすことをためらった。この世とあの世の間の中で何を思って歌うようにお経を唱えておられたのだろうか。
 施設であろうと、独居であろうと、歳を重ねて寂しさを抱かない暮らしはないのだと、思うに至った。今日も訪問がある。どんな会話ができるのだろうか。たとえ僅かな時間であっても、心優しく受け止められますようにと願う。