記憶

あの時のあの気配に近づいていく。もうすぐ二年になるのか。胸が苦しくなる。
 私達の思いをはるかに超えて時は過ぎてゆく。ふと今の家族の姿がいつか、そう遠くないいつの日にか変化してゆくだろうと感じている。それは今日、私がかすかに感じ取った春の気配のように、人生の中で過ぎてゆく人と人の命の流れの姿なのだ。
 自然な姿として、家族は静かに変化してゆくものだ。しかし大震災である日突然家族が壊されることを体験して、私たちはこの平和がいつまでも続くものではないとわかってしまった。目の前でたくさんの家族が壊れていった。私達だけがその定めを免れることはありえない。
 その日が来ることを知っているからこそ、今この時を慈しんで生きていこう。なくなるとわかっているから失うギリギリまで大切に守って生きたい。3・11で私が学んだのは限りあるからこその命の燃やし方だ。あの日から曖昧な生き方はしたくないと思うようになった。