新しい教会の建物で

君はあの木を見たのか

 盛岡に行ったりしていたので献堂式には間に合わなかったけれど、11月の主日のミサで聖書朗読の奉仕ができた。未完成の教会はトイレもなく工事現場のまま。それでも間借りしたり、お邪魔したりではなくここが母なる教会だと思えばなんとなく嬉しくもある。
 以前の教会と比べて通路が狭くこれでは車椅子や松葉杖は通れないなと思う。通路を広げた席を用意してその分一般信者は狭くなっても致し方ないのではないだろうか。ふとこれを設計した人は車椅子での会衆の参加は考えていないんだなと思い至った。いつも取り残されてしまうひとのことが胸の中に渦巻く。
 フィリピンの子どもたちの教育費にと小さなクリスマスのバザーを個人でしている人がいた。リースは扉に傷がつくので保存瓶の中に木の切れ端で形つくった小さな教会を閉じ込めた置物があったのでそれを買った。素朴な教会が好き。写真の扉は宮城県立美術館のもの。教会の扉ではない。まだ工事中で写真に収めることができない。