今日は誕生日

街角の猫風景

今日はなくなった子の記念日だった。あの子が亡くなったことは兄弟の誰もが受け入れがたく、たとえ肉体は触れ合うことができなくても、兄弟は兄弟だとの思いが強く、それぞれの思いで誕生祝いをしている。携帯電話で各地を結んで一緒に声をあわせ「ハッピバースデイ」うたう。
生きていれば若者に成長したであろう息子の思い出は、いつまでもほっそりとした少年の姿。私に寄り添っていつも車側を歩いてくれた少年のまま。胸を揺さぶられるような深い悲しみは今なお私の中にある。
沢山の人がなくなったこの街で、私もまた悲しい母親で在り続けている。亡くなった日の悲しみと、誕生した日の悲しみは痛む場所が異なるようだ。生まれた日の悲しみはひりりひりりと痛む。