五月は

桜満開

 私にとっても家族にとっても辛い月です。2004年私たちの息子を亡くしました。あれからもう過ぎ丸7年が過ぎ、8年目になります。
 子供を失ったことは決して過去にはならないのだと身を以って知りました。冬が過ぎ、春が駆け足でやってくると、私の心はあの日に深く戻っていってしまいます。悲しみの質は日々変化し、決して元には戻らないのですが、心の痛みは時間が経つごとに鋭くなっていくようです。

 カウンセラーをしていても我心をリセットは出来ない。このことをどう抱えて生き延びてゆくのか。これが私の生涯を通じての課題となりました。
 いつまでそんなことを言っているのかと心理屋の仲間は「悪い悲嘆」と言う言葉で表現しますが、家族を失うことの苦しみは決してなかったことにはならないし、まして子供を失った母親は自分の身体も心も半分もぎ取られてしまったように感じます。そして不思議なことにその痛みが今日生きる力でもあるのです。 


 何時か、きっといつの日にか私の心の痛みは誰かの痛みをそっと包むことがあるのかもしれない。ともにそこに生きることが誰かを支えることになるかもしれない。痛みの中に生きることが痛みの中にしか聞えない言葉もあると教えてくれました。五月は私に生きる意味を問いかけています。