午後 次の仕事まで少し時間があった

 やらなければならないことを書き出していてせっかくのあいた時間を何か違うことに使いたいなと思った。ゆっくりとコーヒーを飲んでチョコレートを少し食べた。自分が気持ちが優しくなることをしたいと思った。二冊目の十年日記があと少しで終わろうとしている。このわずか数センチの中に私の人生でも最も悲しかったことが記録されている。なんといとおしい命たちを見送ったことだろう。私がいなくなったらこの記録も消えていく。ここに残された人々の記憶も消えていくのだろうな。この頃自分がいなくなったら、この人たちの残していった記憶が消えていくことのほうが痛みに思える。人は語り継ぐ相手がいなくなったらそこで二度目の死を迎えるのだから・・・せめて息子の記憶だけは残してゆきたいと思う。
 子が親より先に死ぬことの悲しみは、残していく記憶がほんのわずかなものに留まっていくことなのかもしれない。