頑張ってます

バスが頑張っていた

一日を無事に送れただけで感謝したあの日々。明日のことを考えて三日先の心配をするようになってきたころのこと。そして手帳に来月の予定が書き込まれ始めたころ。忘れまいと過去の日々を書き留めなければ記憶の端が欠けていったころのこと。昨日も今日も一昨日もみなぐるぐると絡み合ってまるで区別が付かなくなった混乱の日々があった。
頑張ろう。それは朝から夜に向かっての一日を何とか行きぬくための決意の気持ちだった。はじめその言葉は自分の心の外にあった。白々しく押し付けのように感じられ不愉快だった。それが時間を経過するうちにその言葉は私自身の言葉になって内側に応える気持ちが生まれてきた。街角で見かけると、私の心の中から「頑張ってるさ」と応える気持ちがあるようになった。押し付けられた言葉ではなく自らの内なる言葉だった。私の中にこの言葉が生まれてきたのがどの時点だったのかはわからないが、半月くらい経って、何とか生きられる可能性が見えてきたころからだったような気がする。
 もっと酷い被害を受け打ちのめされた人が沢山いる。私は幸いにして命も生活も奪われることはなかった。ならば頑張ることでもう1人、せめて何がしかの支援をすることはできる。頑張ればきっとできる。
 この言葉が、自分の言葉になっていった。