感じ取る力をいかにして育てるのか

美術館の回廊

 感じ取る力を育てることが可能なのだろうかとふと考えてしまう。それを教育だけで知識として与えることの生み出す弊害を目の当たりに見てしまったから。知識で頭が一杯になってしまった人がとうとうとあの理論この理論を並べたてて事象の分析をしているのを聞いていて。その言葉の何と薄っぺらなことかと思った。本人はその論旨がずれていくことを一向に気にもしない。
 とくとくと自分は某大学院の学生であり、かつて教育施設の責任者をしていて、と語り続ける。今目の前で起こっていることを、自分の生の心の動きとして感じ取ることが出来ない人が、他者の心の動きに寄り添うことなど出来はしない。
 ほとほとあきれてしまった。この人は人の心に関わる仕事は向かないのではないだろうか。この人にはもっと他の、人とのかかわり方を考えたほうがよいと思う。知の部分であれば相手の人格まで否定したり攻撃したりはしなくて済む。相手の存在の基本部分を攻撃しなくてすむ関わりの場所を選ぶべきだ。はっきり言えば心理はおやめなさい。スーパーバイザーはそのことを伝えているのだが、本人は意に介さない。
 興味あることと、自分の適性とは別のところにあるのだといかにして理解させられるのか・・・